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03 オール5事件 ~先生の説教がきっかけ 「野性児」が「優等生」に

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 小学6年の2学期の終わりに「事件」は起きました。前回紹介した「ジャンパー事件」にも優る、私の人生を変えるほどのものでした。富沢家では「オール5事件」と呼ばれています。

 小学生時代の私はガキ大将で野山を駆けめぐるまさに絵に描いたような田舎の野性児でした。「一誠、ランドセルぐらい片づけてから遊びに行きなさい」。オフクロの大きな声が今でも聞こえてくるようです。学校から帰るやいなや玄関の戸をあけて、ランドセルを放り投げてすぐさま遊びに行ってしまう、そんな田舎によくいる普通の子どもだった、のです。

 「タドン小僧」がその頃の私の「あだな」でした。たどん(炭団)は炭の粉を丸めて固め、石炭と共にストーブなどに使われた真っ黒な固形燃料で「黒い」の象徴。それほど私は日焼けしていたのです。

 なぜ「小僧」が付いたかというと、その頃の人気テレビ番組「快傑ハリマオ」に登場するハリマオの部下「タドン小僧」が日焼けしていて人気者だったのです。

 とにかくよく遊ぶ野性児で、ご多分にもれず勉強の方はからきしだめでした。通知表は5段階で、体育以外は毎回「オール3」というありさまでした。

 小学校6年の1学期のことだったでしょうか? 授業中に担任の町田治先生に私はみんなの前で怒られました。宿題をやってこなかった児童が何人かいて、その代表が私だったのです。それまで私は宿題などやったことはありませんでした。当然先生の矛先は私に向かいます。

 「一誠君はなぜいつも宿題をやってこないんだ。こんなことじゃ、来年中学生になったら大変なことになるぞ。聞くところによると墨坂中学では、テストの結果を廊下に貼り出すということだぞ。そんなことになったらみんなから笑われて、女の子にもてなくなるぞ」

 先生の説教を聞きながら「女の子にもてなくなるぞ」という言葉だけがやけにリアリティーを持って迫ってきました。「それは困る」と思うと同時に、だったら勉強ができて女の子にもてていたい、と強く意識したのです。それからは家に帰るとまずは授業の復習をし、宿題をこなしてから遊びに行くようになりました。

 「一誠が勉強している。雨が降りそうだな」。オフクロに揶揄(やゆ)されながらも心を改めて勉強するようになったのは町田先生の説教のおかげです。

 6年生の2学期を終え通知表が配られる日がやってきました。通知表がひとりずつ手渡される時、「一誠君、よく頑張ったな」と先生が声をかけてくれました。「ありがとうございます」とお礼を言って席に戻ってから通知表をそっとのぞいて見ると、なんと全科目に「5」が並んでいました。「ありえない」とぼう然としてしまいました。

 家に帰って両親に通知表を黙って渡すと、オヤジはたった一言。「お前、何かやったのか?」。オフクロは「何、これ?」。

 「オール5」を取ってから、友達の私を見る目が変わりました。特に女の子は...。これが「もてる」ということなのか? 私はそれ以降、「野性児」からガリ勉の「優等生」に生まれ変わったのです。町田先生に感謝です。
(2020年1月18日掲載)


写真=夏、日焼けした私
 
富沢一誠さん