
墨坂中学校(須坂市)時代の私はスポーツ少年でした。部活はバスケットボール部。なぜかというと「バスケットをやると背が伸びる」とまことしやかに言われていたからです。小学校時代の私はクラスでは四十数人中3番目に背が高い方でしたが、中学に入ると真ん中ぐらいになっていましたので「背を伸ばしたい」とひそかに思いバスケットボールを選んだのです。
バスケ部は活気にあふれていました。地区大会を勝ち抜いて初めて長野県大会に駒を進めていたので、押せ押せムードだったのです。当然、私たちもやる気になって「めざすは県大会優勝で全国大会へ」というスローガンで志気が高まっていました。
全生徒が参加するマラソン大会(とはいえ5000メートル)があり、1年生の時に私は3位、2年生の時にはなんと1位になってしまいました。ということで、陸上部から声がかかり、私は1500メートルの選手に助っ人として駆り出されました。
バスケ部と陸上部をかけ持ちしていたこのあたりが私の全盛期でした。スポーツに加えて、勉強の方でも学年で上位3人の中に入っていました。このままいけばまさにバラ色の中学生生活かと思われました。しかし、予期しない所に落とし穴はあったのです。
中学3年になってバスケ部のレギュラー5人に選ばれず、もれてしまったのです。「補欠」です。屈辱以外の何ものでもありません。当然ながらレギュラーの座を奪回しようと練習に力が入ります。授業の前の朝練には誰よりも早く行き、放課後の練習では誰よりも遅くまで頑張りました。
しかしながら、いくら練習しても成果が出ないのです。おかしいなという思いはやがて「こんなはずじゃない」に変わり自信喪失状態になりました。
それに追い打ちをかけたのが、期待して地区大会に出場した1500メートル走で予選落ちしたこと。自己ベストなら県大会でベスト3は間違いなしと言われていたのですが。走り終えた後「なんで?」とぼう然として天をあおいだことは今でも鮮明に記憶しています。
「なぜだ?」。その思いはバスケ部でのレギュラー落ち、陸上の地区大会予選落ち、というダブル悲劇で、人生初の大きな挫折と言っても過言ではありません。
しばらくたってから冷静にその結果を考えてみました。そして気がついたことは、それまでのように体が自由に動いてくれないということ。体が重いというか、躍動感が感じられないのです。
「どうしてしまったのだろうか?」。考えて思い至ったことは寝不足による体の疲弊ではないかということ。中学3年生になると高校受験がより現実問題として迫ってきます。この頃になると私の目標は〈長野高校合格〉に絞られてきます。県下随一の進学校に合格するためには墨坂中学では全校で3番以内に入っていないと危ないという現実がありました。これをクリアするには毎日の猛勉強が必要です。正直に言って、猛勉強をしながら、バスケットボールや陸上で猛練習をこなすことは物理的に無理だったのです。猛勉強と猛練習が知らないうちに体に疲労として蓄積され、オーバーヒートした結果、力が出なかったのでしょう。
秋になりバスケ部、陸上部から引退した私は、それ以降、心おきなく受験勉強に没頭し、念願の長野高校に合格したのです。スポーツで挫折し、受験で栄冠をつかんだ私の中学校時代のお話でした。
写真=バスケットボールに打ち込む私