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06 歌好きの少年 ~春日八郎がやって来た 歌手へのあこがれ宿る

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 スポーツに勉強にと没頭していた私ですが、歌好きの少年でもありました。母・たかのが歌好きで、母方の家系は歌がうまいらしく、母もその血を引いていました。

 当時の流行歌を鼻歌がわりに歌っていた母の歌を子守り歌がわりにして私は育ったと言っても過言ではありません。母の十八番、島倉千代子の「からたち日記」は今でもそらで歌うことができるほどです。この歌が流れてくると幼い頃のあのときに戻りたいという衝動にかられるほどです。

 千代吉叔父さん(父の末弟)は私にとって「歌の師匠」です。私が小学校に上がる頃、叔父さんはたぶん20代半ばだったでしょうか。その頃、私は叔父さんと毎晩お風呂に一緒に入っていました。叔父さんは当時の人気歌手、三波春夫、春日八郎、三橋美智也のヒット曲を鼻歌で歌っていました。三波の「チャンチキおけさ」、春日の「お富さん」、三橋の「達者でな」は叔父さんとお風呂に入るたびに聴かされたので、門前の小僧習わぬ経を読む、ではありませんが、いつのまにか覚えてしまってつい鼻歌で歌ってしまう自分を発見してびっくりしたものです。

 特に「達者でな」は子ども心にもしんみりと心に迫るものがありました。当時は歌の内容はわかりませんでしたが哀愁を帯びたメロディーを三橋の透明感のある高音で歌うと、なぜか悲しくなるのです。それからしばらくして物心がついて歌の内容が理解できるようになるとさらに味わい深さが増しました。手塩にかけた栗毛の馬が成長して買われて行ってしまう。風邪などひかないで達者で暮らせよという飼い主の心情が身にしみます。この歌はカラオケで今でもたまに歌いますが、そのたびに叔父さんと過ごした幼いあの頃にタイムスリップしてしまいます。

 はな叔母さん(父の妹)も忘れられません。私のことを特にかわいがってくれていろいろな所へ連れて行ってくれた叔母さんは、私にとってスポンサー的存在でした。

 当時春日八郎は大スターでした。その春日が長野にやって来るということで大きな話題となりました。しかし、大スターだけに見たくてもチケットが手に入りません。そんなとき叔母さんがチケットを手に入れてきました。どうやって手に入れたかは分かりませんが、2枚手に入ったので私を連れて行ってあげる、ということになりました。初めての歌の公演、子ども心にうれしくないはずはありません。ましてや私は歌好きの少年です。

 当日会場に着くと長蛇の列で会場を二重に取り巻いていました。それを見ただけでわくわくです。中に入ると立ち見ありの超満員。春日が登場すると、全員総立ちで、なおかつ観客の叫び声で何も聴こえません。必死に背伸びしても見えません。

 そんな中でフィナーレを迎えました。アンコールが終わり最後に春日がサイン入りのボールを客席に向かって思いきり投げたのです。歓声がこだまする中、何かに引っ張られるようにして無意識に両手を上にあげると、なぜかすぽっとサイン入りボールが私の手の中に入ったのです。大スター春日八郎が投げたサイン入りボールを私が取った。「歌手になりたい」という思いが宿った瞬間でした。
(2020年2月8日掲載)


写真=はな叔母さん(右)と私
 
富沢一誠さん