
私が中学に入学したのは1964(昭和39)年のこと。東京オリンピックが開催された年です。そのとき担任の先生が言ったことは今でも鮮明に覚えています。「明日からオリンピックが始まるが、テレビばかり見ているんじゃないぞ。ちゃんと勉強もやるんだぞ」。世間はオリンピックムードにうかれていました。高度成長時代に呼応するかのように何もかもが新しい時代へと華やかに変化しました。
流行歌のシーンも大きく変わりつつありました。三波春夫、春日八郎、三橋美智也、村田英雄など民謡調・浪曲調演歌から、ポップス調の若い青春スターが台頭してきたのです。その旗頭となったのが、「潮来笠」を大ヒットさせた橋幸夫、「高校三年生」の舟木一夫、「君だけを」の西郷輝彦で、「御三家」と呼ばれました。
御三家の人気は当時群を抜いていました。橋は民謡調の股旅演歌「潮来笠」からスタートしましたが、「江梨子」「いつでも夢を」などでポップスに転進してたくさんのファンをつかんだのです。私も「江梨子」はよく歌いました。江梨子という歌の主人公が亡くなるという、死をテーマにした重い歌でしたがなぜか、その悲しさ、寂しさがしみ入ってきたのです。
舟木は学生服と八重歯がトレードマークで、歌のテーマも学園とはっきりしていて「学園ソング」と言われていました。「高校三年生」がヒットした63年、私は小学6年生で、仲間と歌うときは「高校三年生」を「小学六年生」と変えて大合唱したものです。
西郷は橋、舟木より三つ四つ若いだけに最もアイドル性がありました。私が西郷を初めて知ったのは、当時の人気テレビ音楽番組「ロッテ歌のアルバム」でのこと。「1週間のごぶさたです。玉置宏です」という名ぜりふで始まる玉置司会の番組でデビュー曲「君だけを」を歌っていました。
長身で、今で言う「イケメン歌手」で、ポップスにしては「こぶし」がやけにきいていました。そんな西郷に私は瞬時にしてハートをわしづかみにされ、「カッコいい、西郷輝彦みたいになりたい」と思いました。よくある夢見る少年のひとりでした。
西郷の歌は「チャペルに続く白い道」「十七才のこの胸に」「星娘」「星のフラメンコ」などレコードを買ってきては一生懸命に覚えました。そして学校へ通う道すがらアカペラで歌ったものです。
現在のようにカラオケなどない時代、人前で歌うチャンスなどありません。一つだけあるとすれば、修学旅行のバスの中です。バスガイドさんのマイクが回ってきたときに「いっせいちゃん、歌って!」と言われると、「それでは西郷輝彦の『君だけを』を歌います」と言って私はアカペラで歌ったものです。手前みそですが、私は西郷のものまねがうまかったのです。修学旅行のバスの中で「歌って!」と言われて歌っているうちに、ひょっとしたら俺って歌がうまいのかなと勘違いして、その結果「歌手になりたい」と思ってしまった、としても仕方がありません。
御三家の登場で、私のような勘違い少年が全国各地にたくさん生まれたに違いありません。御三家のほかにもたくさんのスターが生まれましたが、それは次回お話ししましょう。
(2020年2月15日掲載)
写真=中学の修学旅行で。手前の右から2人目が私