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102 茅ケ岳 ~深田久弥氏終焉の地に

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 冬型の気圧配置により北信は悪天でも、中南信や関東は好天が続く。春の訪れを待ちきれず、2月上旬の日曜日に70代の山仲間4人で山梨県の茅ケ岳(かやがたけ)(1704メートル)に登った。

 隣り合う金ケ岳(かねがたけ)(1764メートル)との連なりが、西側の八ケ岳にそっくりなことから「ニセ八ツ」などと呼ばれる。「日本百名山」の著者、深田久弥氏が登山中に病死した山として知られ、眺望が良く人気が高い。

 7時に長野運動公園駐車場に集合。小雪が舞い、一面雪の中を1台の車で出発。上信越道から長野道に入り、安曇野に出ると雪はまったくなく、うそのような晴天に。

 諏訪湖の先からは左手に八ケ岳、右手に甲斐駒ケ岳がよく見える。正面には富士山も。韮崎インターで中央道を降り、北へ向かう。深田氏を記念した深田公園駐車場から、10時前に歩き始める。

 登山口の標高は約千メートル。日差しは強いものの、風は冷たく頬を刺すようだ。アカマツ林の中の平たんな道を進む。舗装された林道を横切り、緩やかな山道を登り詰めると、「女岩」の岩壁が現れる。以前は水場だったが、落石があるため今は立ち入り禁止に。

 右手の尾根に取り付き、岩壁の上部を巻くように急坂を詰めて行く。周囲は一面の雑木林。膝下まで落ち葉で埋もれる。今年初めての山行のせいか、仲間の一人が体調不良を訴えたが、ゆっくり休むと回復して元気に。

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 稜線の鞍部「女岩のコル」に達し、わずか登ると深田久弥氏終焉の地に。小さな石碑が立ち、木柱の下に造花が供えられている。背後に見える、雪をかぶった金峰山(きんぷさん)が見守っているようだ。

 1971年3月21日「春分の日」に、深田氏は頂上を目前にここで倒れ、息を引き取った。百名山を登り終えた人たちが報告に訪れることが多く、毎年4月の第3日曜日には記念登山が行われている。

 休憩し深田氏をしのんだ後、山頂へ向かう。露岩のやせ尾根を歩き、大岩を北側に回り込むと、凍った雪が残っていた。滑落に気を付け、しばらく登ると小広い山頂に出た。

 東に大きな富士山。眼下には広々とした甲府盆地。南は鋸岳から甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳など南アルプスと鳳凰三山。西に八ケ岳の峰々。北には瑞牆山(みずがきやま)や金峰山、甲武信ケ岳(こぶしがたけ)など奥秩父の山々。手前の金ケ岳に隠れ、北八ケ岳方面が見えないだけで全方位の眺望だ。

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 山頂で昼食を取り、13時に下山を開始。上りとは別の防火線の尾根を走るように下る。かなりの急傾斜だ。まだ山に慣れていないせいか脚に負担がかかり、太ももにけいれんが起きる。その都度休んで激痛が収まるのを待ち、やっと下りきった。

 帰路は再び高速道で長野へ。18時過ぎには帰宅した。
(横前公行)
(2020年2月22日掲載)

写真上=山頂から西方に望む八ヶ岳
写真中=小さな石碑が立つ深田久弥氏終焉の地
写真下=山頂から東方に望む富士山
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中高年の山ある記