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09 東大目指して ~他の全ての欲望犠牲に 受験勉強に今では「感謝」

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 1967(昭和42)年4月、私は県立長野高校に入学しました。古くは長野北高と呼ばれ、名門校として名が知られていました。東大、京大など難関校に数多くの生徒が進学。現に私が卒業した70年度、東大に現役、浪人合わせて24人が合格しました。

 長野高校に入った私は3年後に東大に入ることしか考えていませんでした。私の存在が最も目立つのは頭がいいこと。目立つことは東大に入ること。私はそれを信じて疑わなかったのです。私は誰に言われたわけでもないのに東大に入るためだけにひたすら受験勉強を始めたのです。私にとって高校3年間は東大に合格するためだけにあったと言っても過言ではありません。

 その頃の私の日課は判を押したように正確でした。一日は朝7時半の起床に始まり、歯を磨き、朝食を取り、その他の用事をすまし、須坂の家を出るのが7時50分。8時発の電車に乗り8時半に下車。そこから歩いて12分余りの学校に向かう。8時45分、第1時限の授業開始。50分授業を6時限まで受けて授業が全て終るのが午後3時20分。クラブには入らず掃除をさぼってただちに学校を出ます。朝来た道を逆に戻って家に着くのがだいたい4時半ごろ。30分ほど休んで5時から勉強開始。7時から8時まで夕食と食後の休憩。8時からまた勉強を開始して午前零時までぶっ続け。それから30分間、庭に出て竹刀を持って体をほぐす。そしてまた零時半から勉強を始めて3時まで。3時には次の日のために何があっても根性で就寝。自宅での勉強時間はしめて1日8時間半。こんな毎日の繰り返しが高校時代の3年間続きました。

 こんな毎日を繰り返していれば、恋をしている時間もなければ、テレビを見る時間も、ラジオを聴く時間も家族と話をする時間もありません。ましてや人生のことを考える時間などありはしません。ときどきそんな自分をながめて、ふとみじめに思えるときがありました。寂しくなるときもありました。それこそ乙女が秋の枯れ葉が落ちるのを見て涙してしまうような感じでした。

 そんな感傷的な気分に陥ったとき、私を救ってくれたのは、親でもなければ友達でもありません。それは他ならぬ「東大」そのものでした。そんなとき、私は東大のことを考えると、いてもたってもいられませんでした。かわいい彼女にひと目ぼれしてなんとかして彼女の関心をひこうとしている男の姿そのものでした。

 東大が私にとって、なぜそれほど魅力があったのかよくわかりません。単純に大学の中で東大がもっとも良しとされていたからかもしれません。ただひとつだけ確実なことは、私にとっての東大は当時の「憧れの君」以外の何者でもなかったということ。いや「憧れの君」以上で、それは私のロマンであったと言った方が適切でしょう。そのロマンをこの手につかみとるため、私は受験勉強ただ一筋に打ち込んだのです。ひたすら東大のために他の全ての欲望を犠牲にしました。その意味では、私は完璧な「東大病患者」だったのです。

 早いものであれからもう50年以上の年月が流れていますが、高校3年間の受験勉強体験は私にとって最も大きな宝物と言ってもいいと思います。なぜならば受験勉強で限界まで挑戦して極めたということは、私に「やればできる」という自信を与えてくれたからです。どんな困難にぶつかってもあの時と比べたら楽なものです。そんな確固たる自信を与えてくれた「受験勉強」に今では「感謝」しかありません。
(2020年2月29日掲載)

写真=高校時代の私
 
富沢一誠さん