
歌手になるという夢をなくしてしまった私は、しばらくの間、失意の日々を送っていました。胸に風穴があいたようでした。何の目標もないむなしい日々が続きました。夢を失ってしまえば人間なんてただの動物です。いや、むなしさを感じるだけ、動物よりも始末が悪いのです。
ここでひとつはっきりさせておきたいことは、歌謡学校を辞めても「大学生」には戻らなかったということです。入学してからしばらくの間は通学していましたが、それは別に勉強したくて行ったわけではなく、行かなくてはと思って行っただけのこと。加えて「歌手になる」という大きな目標を失ってしまい、何もやることがない、私はどうしたらいいのか?と考えて行きついたところは「無・無・無」の境地。この頃から私は暇をつぶすためによく喫茶店へ通うようになりました。こうでもしなければ1日24時間がとても長くてつぶせやしなかったからです。
「レオ」、何の変哲もない典型的な学生街の喫茶店です。しかし、レオは駒場で青春時代を送った人たちにとっては終生忘れられない存在です。当時のレオは私たちにとってどんな役割を果たしていたのか? それは暇つぶしの場であり、安息の場であり、逃避の場であり、そして私たちの「成長の場」でもあったのです。
「レオ」は京王井の頭線の駒場東大前駅から歩いて1分ぐらいの所にあり、ちょうど井の頭線を境にして東大教養学部と反対側にあります。さほど大きな喫茶店ではなく、しゃれてもいないのですが、人をひきつけるところがあって妙に愛着を感じるのです。このお店のキャッチ・フレーズは「東大生が選んだ喫茶店ベストワンの店」。これは当時「平凡パンチ」という若者向け週刊誌に取り上げられたこともありますが、東大の喫茶店研究班なるものが都内数百の喫茶店の中から、さまざまな条件を吟味した上で選んだとか。ここのママさんは十数年間も東大生を相手に喫茶店を経営してきているので、若者たちの気持ちを理解していて気が若い。そしていつもカウンターの中に入って丸い顔をプーとふくらませては一生懸命にコーヒーをたてているところがすてきでした。
一見したところ話しにくそうに見えて、2回、3回とあいさつをかわしていくうちに、自然と話がはずんでしまうという人柄など実におふくろさんを感じさせて気持ちがいい。とにかく「ママ」とか「奥さん」とかいう呼び名より「おばさん」という呼び名がぴったりの人でした。
「レオ」は当時の私の生活に大きな影響を及ぼしただけでなく、私の友人たちにも多大な影響を与えました。私たちは大学には来ても授業には出ないで、「レオ」に集まって、世間話をしたり、ばか話、わい談をぶったり。それに疲れるとレコードを聴いたり、少年マガジン、少年サンデー、少年ジャンプなどマンガ本をむさぼり読んだりしたものです。
「レオ」のおばさんをはじめ、ウエートレスのKさん、Tさん、Mさんなどとても優しくていい人で、とってもとっても居心地がいい場所でした。「レオ」は私たちにとって紛れもなく「学生街の喫茶店」であり青春時代の原点でした。
(2020年4月4日掲載)
写真=喫茶店仲間と。右から2人目が私