
善光寺界隈は、参道から外れた脇道を歩くと、さまざまな発見がある。中でも、東側の脇道や小路が面白い。
善光寺本堂から山門(三門)、仁王門を経て、参道入り口を左に曲がると横町商店街。毎年11月のえびす講の時ににぎわう西宮神社に通じる通りだ。
西宮神社入り口を南に下る坂道は虎小路(とらこうじ)と呼ばれ、武井神社にかけた一帯は、昔ながらの小路が入り組み、木造家屋やアパート、マンションが密集して建ち並ぶ。
坂道を下ってすぐ左手に小さなお店を発見。聞いてみると、ハンガリーやチェコの手工芸品を扱う輸入雑貨店で、3姉妹で営んでいるという。

さらに南下すると、石塔が並んだ虎が塚がある。能や歌舞伎で有名な曽我兄弟の敵討ちの物語で、名妓(めいぎ)・虎御前が曽我兄弟の霊を弔うため、善光寺に来て虎石庵を結び、供養の日々を送った場所といい、地元の住民組織が建てた由来碑が目に留まる。
これ以外にも、その東側方向の土地には、鎌倉時代の史書「吾妻鏡」の建久4(1193)年の項を引用した虎石庵の石碑や地蔵などが並んでいる。
一帯は、建物が撤去された後の更地が目立つ。車が通行できない小道が網の目のように残る情景は、江戸時代以前の門前町の様子をほうふつとさせる。当時はおそらく畑作地で、網目のようにクネクネと曲がるあぜ道だったのだろう。庵(いおり)を結んだのは遊行の尼僧らで、鎌倉時代の敵討ちや政権争奪のドラマを、仏教の因果にからめて物語ってきたのだろう。
虎が塚の向かいは武井神社の境内。江戸時代の名力士雷電為右衛門ゆかりの巨大な一枚石「雷電の力石」がある。石は、神社東側の川に架けられていた橋に使われていたが、新橋架け替えの際に、雷電が神社まで運んだといい、石に腰かけると健康になるとか、子どもが石の上に立つと丈夫に育つと語り継がれてきた。

神社前の国道を渡ると、かつての雑貨問屋街の通りで、古い倉庫を利用したカフェなどのお店がアンティークな雰囲気を醸し出している。
昔ながらの建物群の小路に入り込んだら、小公園に出合った。中央通りの松葉屋家具店が店舗裏の敷地に築山を設けて、信州に縁のあるトチ、カエデやクルミなど銘木になる木々を植えたもの。ミニ森林を育てようという試みとか。
門前町の裏通りと小路探検は飽きることがない。
(2020年4月25日掲載)
写真上=西宮神社から虎小路を下ると武井神社に通じる
写真下=虎石庵の由来碑(左奥)や石塔が並ぶ虎が塚