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25 オンリーワン ~谷村新司の誘いを受ける 「ヨーロッパ3部作」同行取材

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 アコースティックミュージックからビートミュージックへ。この移行は時代の流れでした。その流れに乗って、まず佐野元春、チェッカーズ、浜田省吾、尾崎豊、ハウンドドッグ、レベッカ、渡辺美里などが飛び出し、そして1986年には「ビートロック時代」のきっかけをつくったBOØWY(ボウイ)が浮上しました。すさまじいばかりの「バンドブーム」でした。ニューミュージックにとって代わってロックがメインストリームになったのです。「ニューミュージックの富沢一誠」という肩書きを必要以上に意識していた私は、そのおごりが客観的な目を曇らせ、時代とズレてしまっていたのです。

 精神的には最もきつい時期でした。正直に言って、このままニューミュージックに固執し続けていると食えなくなる危険性があったし、かといってロックに転向するには「プライド」が許さなかったのです。ニューミュージックかロックか? 岐路を迎えて、私は立ちつくしてしまいました。

 とはいえ、このままでは何も始まらない。そこで、これだけは言いたいことを冷静に考えてみることにしました。そう思って、これまでやってきたことを思い出しているうちに自然と光明が見えてきました。それは「ナンバーワンからオンリーワンへ」というメッセージでした。そのとき、これを次のテーマにしようと決めたのです。

 そんなふうに考えていたちょうどその頃、運命の電話が入りました。谷村新司のマネジャーからでした。会ってみると「谷村が一誠さんにお話ししたいことがある」ということでした。谷村とは取材を通してアリスのデビュー時代から知っているから、かれこれ20年くらいの付き合いになります。その谷村が私にあえて話がある、と言う。何だろうか? 期待と不安が交錯しましたが、とにかく会ってみることにしました。
 谷村とは久しぶりに会って本音で話をしました。そして彼は言いました。

 「俺はオンリーワンになろうと思っている。そのために、これからの3年間で3枚のアルバムを作ろうと思っている。1枚はロンドンでロンドン交響楽団と、1枚はパリで国立パリ・オペラ・オーケストラと、そしてもう1枚はウィーンでウィーン交響楽団と作ろうと思っている。いうなら『ヨーロッパ3部作』だ。たぶん、それらはセールス的には売れないと思う。でも、これをやっておかないと、俺は前には進めないと思っている」

 一拍おいて彼は言いました。

 「もしも俺のやることに興味を持ってくれたら、俺に付き合ってくれないかな。ヨーロッパ3部作、俺のそばにいて全てを見届けてくれないかな」

 そう言われて、私は間髪入れずに「分かりました。ぜひ付き合わせてください」と言いました。なぜならば、ニューミュージックかロックかの岐路に立たされて悩んでいる私にとって、谷村が明確な道しるべを与えてくれたからです。

 アリスで「ナンバーワン」を取った男が、ソロアーティストで「オンリーワン」を目指す。そのプロセスを、勝負をアーティストのそばにいて見ることができるのです。ジャーナリスト冥利(みょうり)につきる、というものです。

 と同時に、音楽評論家として、「ナンバーワンからオンリーワンへ」という谷村の思いを「メッセージ」としてどれだけ正確に熱くユーザーに届けることができるかのチャレンジでもあると思いました。谷村の誘いを受けた私の腹は決まっていました。ニューミュージックを最後まで見届ける、と。

(2020年6月27日掲載)

写真=私が同行取材した谷村新司のアルバム「ヨーロッパ3部作」資料
 
富沢一誠さん