
ミュージックシーンの流れも変わりつつありました。1980年代後半のミュージックシーンは歌が聴こえてこなかった。いや、正確に言うなら、歌は聴こえてはいたのですが、メロディーが心に残らないで、たとえたくさんの歌が聴こえていたとしても、私たちの心に歌が残らなかったのです。
そんな状況を増長させたのが「バンドブーム」でした。バンドブームは、それはそれでいいところもありました。バンドブームによってミュージックシーンは明らかに活況を呈したからです。しかしながら、いいところばかりではありません。というのは、バンドブームによって「歌」がどこかに忘れ去られてしまったからです。はっきり言って、タテ(縦)ノリのビートロックはビートを前面に出すあまり、メロディーが不在というか、歌が聴こえてこなかったのです。だからちまたにビートロックが氾濫していても、私たちに歌は届いてきませんでした。
1990年の年末あたりから状況が変わってきました。ビートロックブームの反動から「歌の復権」、つまり「歌のルネッサンス」が始まったのです。その先陣を切ったのがKANの「愛は勝つ」でした。「愛は勝つ」は歌がひとり歩きを始め、200万枚を売り上げる大ヒット曲になりました。
「愛は勝つ」がきっかけとなって、91年に入ってから聴き手の「共感」を呼ぶような歌がビートロックに代わって「主流」を占めました。小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」、辛島美登里の「サイレント・イヴ」、沢田知可子の「会いたい」、ASKAの「はじまりはいつも雨」、児島未散の「ジプシー」、CHAGE&ASKAの「SAY YES」、井上陽水の「少年時代」、槙原敬之の「どんなときも。」、長渕剛の「しゃぼん玉」などです。やっと「歌が聴ける時代」になったのです。
こうして「ボーカルの時代」がスタートするわけですが、これらには共通点がありました。それは曲調というか、味わいで「演歌のにおい」もするということ。そんな「におい」があるからこそ、ニューミュージックでありながら、演歌世代にも受け入れられるのです。換言すれば、ロック世代が「許せる歌」、演歌世代が「分かる歌」ということです。
こういう歌を、ロック世代、演歌世代という2世代に受け入れられるという意味で「BI・MUSIC(バイ・ミュージック)」と私は命名しました(BIは「双」「複」の意味)。BI・MUSICのスタンダード・ナンバーともいえる曲が井上陽水の「少年時代」です。
「ナンバーワンからオンリーワンへ」というキャッチコピーに込めた「オンリーワン」のあるべき姿が鮮明に見えてきました。それこそが「BI・MUSIC」でした。そこで「BI・MUSIC」宣言をすることにしました。音楽評論家・富沢一誠の「所信表明」と言っていいでしょう。
ナンバーワンからオンリーワンへ。ニューミュージックからBI・MUSICへ。これがこれからの音楽の流れです。かつてニューミュージックの旗振り役を務めたように、私は、これからは「BI・MUSIC」の旗振り役を積極的に務めたいと思います。そんな決意のもとで「BI・MUSIC宣言」をしたのです。
フォーク、ニューミュージックに代わりBI・MUSICという新しい旗を立てたことで、音楽評論家としての新しい地平が切り開けてきたのです。
(2020年7月4日掲載)
写真=私が「BI・MUSIC」を提唱すると話題になった