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27 テレビ番組「音楽通信」 ~司会やりながら辛口批評 視聴者は本音が聞きたい

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 錯綜するミュージックシーンにおいて、音楽評論家として、私は何をなすべきなのか―と考え始めるようになりました。書き始めて20年を迎え、そろそろ自分の「使命」を考えざるを得なくなったからかもしれません。いや、40代になって、自分の人生の今後を冷静に見つめなければならないという現実があったからです。

 試行錯誤を重ねて私が出した結論は、評論家として、思ったこと、感じることを、これまで以上にズバリと書かなければ、と考えました。やがて、このことが「評論の実践」につながっていくのです。

 音楽評論家からプロデューサー&パーソナリティーへ。私はウイングを広げて新たなスタートを切ることになります。

 私が企画・立案したラジオ番組〈JAPANESE DREAM〉(通称JD)は1992年4月4日土曜日の深夜26時にFM NACK5で始まりました。始まった当初はこんなオープニングでした。

 「JAPANESE DREAM―それは全てのアーティストに『平等にチャンス』を与える夢の番組です。いい歌でありさえすれば必ずヒットする。歌にとって、これがあるべき姿です」

 JDはその後、順調に成長しました。半年後には5時間という大型番組となり、さらに京都、名古屋、札幌、福岡へと放送エリアが拡大しパワーアップ。しかし、番組スタイルは変わっても、JDの「精神」、つまり「理念」は一度もぶれたことはありません。JDの「理念」は「いい歌にチャンスを与えたい」ということ。そのために「いい歌」を見つける努力を毎月してきました。システムは変わっても「志」は同じです。

 JDが成功したことで今度はテレビから声がかかりました。テレビ東京の「音楽通信」という音楽番組のコメンテーターとしてです。

 「音楽通信」は他の音楽情報番組とスタイルは似ていますが、本質はまったく違います。これは女優の羽野晶紀さんと私が司会進行をしていた番組ですが、どこが違うのかというと、私が音楽評論家の立場で司会をやりながら「批評」を入れていたところです。他の番組がただ情報をたれ流しているのに対して「音楽通信」では、この曲のここが良くないとか、私がかなり辛口な批評を入れていました。批評を入れるというのが、この番組のポリシーであり、いい歌を本当に理解してほしいという「志」なのです。

 「音楽通信」は97年4月にスタートしました。スタートするにあたって、私はプロデューサーにひとつだけ「条件」を出しました。それは音楽評論家として、きっちりと言いたいことは言う、つまり、物ははっきり言います、ということでした。さらに付け加えました。私が番組の中で言ったことは何を使ってもらってもけっこう。私は自分の言葉にそれだけの責任を持っている、ということが自分のスタンスだったのです。

 結局「音楽通信」は思った以上に評判が良くて4年半も続くことになりますが、この中で私はある確信を持つに至りました。それは、視聴者は辛口のコメントを求めているということでした。辛口のコメント、正確に言えば、コメンテーターの本音を聞きたがっているということです。裏を返せば、音楽番組に関しては、それだけ本音が語られていない、ということ。「音楽通信」を続けているうちに、テレビの音楽番組のあり方が私の中では鮮明になってきました。
(2020年7月11日掲載)


写真=ラジオ番組のパーソナリティーを始めた41歳の頃
 
富沢一誠さん