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29 53歳の問い ~最近の音楽 本当に好きか 考える機会いつしか多く

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 1971年から91年までの20年間、私は音楽評論家として、雑誌、新聞、単行本と、「書く」ことに徹底してきました。その間に40冊の単行本を書いたほどです。92年からはラジオパーソナリティーとして「しゃべる」ことを始めました。「JAPANESE DREAM」(FM NACK5)を立ち上げたからです。そして97年からはテレビ番組のレギュラーを持ったので、テレビコメンテーターとしての顔を持ちました。「音楽通信」(テレビ東京)、「Mの黙示録」(テレビ朝日)で週に2回は画面に顔を出すことになります。

 いい歌でありさえすれば必ず売れる。これはあたりまえのことです。しかし、現実の音楽業界の仕組みはそうはなっていません。そんな音楽業界の構造的欠陥を改革しなければならない、と私は「本気」で考えていました。そのために「JAPANESE DREAM(JD)」「Mの黙示録」を立ち上げて頑張ってきたのです。

 しかし、私はいつしか53歳になっていました。それまでは自分の年齢を気にしたことはありませんが、そのときはなぜかしみじみと感じ入るものがあったのです。2004年の春ごろ、久しぶりに実家に戻ったときのことです。私には兄が2人いますが、二つ違いの次兄が酒を飲みながらしみじみと言った言葉が、私には衝撃的でした。「俺も今年で定年だな」。会社勤めをしたことのない私にとって、定年という言葉はリアリティーのないものですが、さすがにこのときばかりはドキッとしました。なぜならば、長兄ではなく、二つしか違わない次兄が定年を迎えると知ったとき、「俺もあと2年で定年なんだ」と感じて、正直言って、がく然としてしまったのです。

 20歳から音楽評論家稼業を始めてから33年間は紛れもなく「学生気分」そのものでした。そんな気分に次兄の定年は見事なまでに冷や水をかぶせてくれました。

 「そうか、俺は53歳か。若くはないんだな」。そう思うと、こんなことをしていていいのか、という思いが湧き上がってきました。

 考えてみれば「JD」を始めて12年、「Mの黙示録」を始めてからでも4年がたっていました。両番組とも、私の「志」をエネルギーにして立ち上げたものであり、それこそ心血を注いできた自分の分身でもありました。しかしながら、両番組ともに既に軌道に乗っていたので、かつてのような番組に賭ける私の情熱は色あせていたかもしれません。

 もちろん、理想のミュージックシーンをつくるためには「JD」「Mの黙示録」の「理念」はいまだ健在なり、ということはわかっていたし、頑張ろうとも思っていました。だが、心の片隅で、ルーティンワークになってしまったことに対して、仕事として流してしまっているかもしれないという後ろめたさを感じていたことは事実です。

 また、ジャパニーズ・ヒップホップなどがミュージックシーンのメインストリームとなってくるに伴い、違和感を感じ始めていたことも否定はできません。R&Bから、よりロック色の強いサウンドへ、ミュージックシーンは変化していきました。そんな中にあって、そんな音楽に対して必死になって理解しようと努めている自分がいました。

 夜、眠りに落ちる前に考える機会がいつしか多くなりました。「最近の音楽は本当に好きなのか。本当に理解できているのか」

 それに対する答えを明確にすることは、これからの人生を選択すること。それだけにすぐに答えは出せませんが、いずれにしても、私は大きな「決心」をせざるをえない前段階に立たされていたのです。
(2020年7月25日掲載)


写真=右から私、長兄、次兄
 
富沢一誠さん