
2000年代に入るとミュージックシーンの状況も変わりつつありました。いくら耳を立てても、私にリアリティーのある歌が聴こえてこないのです。そこで私は自分のシフトを変えることにしました。
08年のことです。ヒットチャート誌「オリコン」を見ていてふと思ったことがありました。
邦楽は「Jポップ」系と「演歌・歌謡曲」系と大きく二つのジャンルに分けられますが、この二つのカテゴリーに入らないジャンルが生まれつつあるようです。たとえばミリオンセラーとなった秋川雅史の「千の風になって」は「演歌・歌謡曲」とは言い難いし、さりとて「クラシック」でもありません。
同様に、すぎもとまさとの「吾亦紅(われもこう)」は「演歌・歌謡曲」に近いけれども断定はしにくいし、秋元順子の「愛のままで...」もなんとなく「演歌・歌謡曲」に入れられてはいますが、何か引っかかるものを感じてしまいます。
最近出てきたアーティストだけではありません。森山良子、加藤登紀子、高橋真梨子、谷村新司、さだまさしなどキャリアアーティストも「Jポップ」「演歌・歌謡曲」と呼ぶにはしっくりこないものがあります。そこで私は考え抜いて命名することにしました。彼らのような大人の歌を歌える実力派アーティストを「Age Free Artist」と呼ぶことにしました。
年齢なんか関係ありません。アーティストは実力が全てなんです。そんな意味もこめて「エイジフリー・アーティスト」です。そして彼らが作り出す成熟した良質な「大人の音楽」を「Age Free Music」と名づけました。そして私は音楽評論家として高らかに「時代は今、『Age Free Music』、大人の音楽を必要としています!」と宣言をしたのです。
「Age Free Music」という旗を掲げると同時に、私は自分が担当するラジオ、テレビ番組を全て「Age Free Music」にシフトを変えました。加えてテイチクエンタテインメントと組んで「Age Free Music」レーベルを立ち上げて総合プロデューサーに就任しました。このレーベルからは既に永井龍雲、三浦和人、広瀬倫子などがリリースをしています。
私の「志」、「いい歌でありさえすれば必ずヒットする。これがあるべき姿です」は変わりません。その変わらぬ熱い思いが「Age Free Music」を立ち上げたのです。「JAPANESE DREAM」「Mの黙示録」の後は「Age Free Music」という訳です。
2018年4月、私は尚美学園大学の副学長に就任しました。埼玉県川越市にある同大学は芸術情報学部、総合政策学部、スポーツマネジメント学部、大学院からなる私立大学で、音楽を芸術としてだけでなくエンターテインメント、ビジネスとして捉え、最初に「音楽ビジネス」を学問としたことで知られています。
とはいえ、音楽評論家が「副学長」に就任することは日本全体の教育業界でみてもあまり例のないことですので、四十数年間にわたって実社会で音楽評論家として活動して得た知識や経験を次の世代へ継承していくつもりです。そのために、授業で学生とコミュニケーションを取り、「実学」を教えることで、音楽業界で活躍できる人材を育成したいと思っています。
私は今年の4月27日に69歳になりました。来年、音楽評論活動50周年を迎えます。あと何年できるかわかりませんが、志を持って「使命」を全うしたいと思います。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
富沢一誠さんのシリーズはおわり
(2020年8月1日掲載)
写真=副学長を務める尚美学園大学・大学院の学位授与式にて