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239 北村喜代松 ~鬼無里に残る彫刻美の屋台

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 鬼無里は、長野の生活・文化・人の源流といってよい。穀物のほか、麻糸、まき炭、みそ、しょうゆなどの供給地だった。「鬼無里ふるさと資料館」は、かつて盛んだった麻の生産や、大麻の茎繊維を原料とした畳糸づくりなど現在では「幻の産業」を知る面白い展示物が多い。

 今回、同資料館を訪ねて注目したのは、江戸末期から明治期に活躍した宮彫(みやぼり)師・北村喜代松(きよまつ)(1830~1906年)の彫刻作品だ。

 祭り屋台と神楽の展示室は壮観だ。鬼無里神社、三嶋神社、皇大神社、諏訪神社の各屋台、虫倉神社、加茂神社、白髯(しらひげ)神社、朝日社の各神楽が並ぶ。

 4台の屋台の中で最大の鬼無里神社の屋台は長さ5・31メートル、幅3・5メートル、高さ4・43メートル。天井の大竜をはじめ、正面左右の柱の昇り竜、下り竜の迫力にしばし見入ってしまう。この1台は今なお現役で、毎年5月3日の例大祭には、資料館の展示室から運び出されて町を巡行する。しかし今年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、残念ながら練り歩きは中止されたという。

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 1993年、同資料館を見学した作家の井出孫六さんは、「現存する四台の屋台と二台の神楽は漆や金箔はほどこされておらず、白木のままなのが特徴だが、満艦飾ともいうべき精巧な彫刻の美しさがいまに保たれている。柱にからみつくように彫りあげられた竜の一木彫りは左甚五郎の右に出るできばえともいうべく、欄間、唐破風、天井、窓枠、高欄下の羽目板にいたるまで、彫刻のほどこされていないところがないほど、みごとなのである」と、信濃毎日新聞夕刊コラム「今日の視角」に書いている。

 喜代松は、現在の新潟県糸魚川市の、宮大工の建部(たてべ)家に生まれた。父から木彫を学び、1847(弘化4)年の善光寺地震後、善光寺付近や鬼無里などで仕事をし、桜枝町の北村ふさ(鬼無里出身)と結婚。婿入りし、北村姓を名乗った。長野市内の寺社や旧家には喜代松の作品がある。

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 資料館には、喜代松の子の彫刻家・北村四海(しかい)(1871~1927年)と、孫の彫刻家・北村正信(1890~1980年、四海の養子)の作品も展示されている。

 資料館は、旧鬼無里村時代の1986(昭和61)年開館。長野市に合併前の90年と95年に増棟し、3棟が立ち並ぶ大型展示施設だ。長野市街地の知人を案内すると「すごい郷土遺産だ」と口をそろえる。
(おわり)
(2020年9月26日号掲載)

写真上=北村喜代松(北村直正氏提供)

写真中=北村喜代松作の祭り屋台

写真下=井出孫六さんが言及した屋台柱の竜の彫刻


 
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