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07 ペンション開業 仏企業の手法をモデルに ~妹や親戚にも手伝い頼む

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 父の会社「久世」で営業成績を伸ばし、ゆとりの出た私は、「今の担当部署以外にも、スキー場のホテルやペンションに営業の開拓に行きたい」と父に提案しました。2月、8月に東京は帰省などで売り上げが減少する半面、スキー場やリゾート地は大人気でした。

 スキーに熱中していた当時お世話になった白馬や志賀高原などのホテルやペンションを訪問し、ワインやウイスキー、冷凍食品などをセールスし、よく売れました。スキーシーズン前に駆け足で受注を取り、大型トラックでいっぺんに納品しました。売れ過ぎてしまい、大町税務署から豊島税務署(東京)を通じて「御社の営業マンが市場を荒らしているので自粛をするように」と、違法ではないものの指導の電話が入るありさまでした。

 スキー場を営業で訪れるうちに、東京での生活とは全く違うペンションの仕事に憧れ、自分もペンション経営をしたいという気持ちが膨らみました。

 父の役に立ちたいという素直な思いで、それまでは何でも父の言うことを聞き、自分なりに父の役に立っていたという自負もありました。経営者として私に期待してくれていたので、私は申し訳ない気持ちでした。「ペンションをやりたい」という私の思いを知って、父は悲しかったと思います。

 最初は、その話をすると不機嫌になり口をきいてくれなくなりました。父はスキー客相手の宿泊業の厳しさも分かっていたので反対したのだと思います。資料や企画書をそろえて1年かけて説得し、最終的には折れてくれました。

 自分でためた300万円と、父の保証で銀行から借りた4000万円で「久世ペンション」を開業しました。斑尾高原を選んだのは、慶応大学のディモンズスキー倶楽部(くらぶ)の先輩が営んでいた斑尾のペンションに何度も遊びに行っていたこと、森の中にペンション村があり、スキー場に林間コースがあり景観が良かったことなどが理由です。開発の歴史がまだ浅い場所で、外部の人間でも始めやすかったのも決め手でした。

 開業前にはフランスのスキー場に行ってペンションやホテルに滞在し勉強しました。以前から、フランスに本社を置くリゾート企業「地中海クラブ」の手法にひかれていました。ペンションやホテルにお客を集めて、スキーを教えたり、おいしい料理をそろえてパーティーをして一緒に盛り上げたりとさまざまなサービスを提供するのですが、それをモデルに小さなペンションをやろうと考えました。

 ペンションを始めてからは毎日父から電話があり、「今日は何人くらい泊まっているんだ」「売り上げはどれくらいだ」とうるさいくらいに心配してくれました。

 最初の冬から結婚するまでの半年間は、料理の上手な母が手伝いに来てくれました。当時大学1年の妹や2番目の兄のフィアンセにも手伝いを頼むなど、いろいろな人を巻き込んで手伝ってもらいました。父も時々遊びに来てくれました。

 妹の大学の友達がグループで遊びに来てくれたり、結婚後は妻の兄弟たちも遊びに来て除雪を手伝ってくれたり。迷惑をかけることもありましたが、今でも普通の親戚づきあいを超えて同志のように何でも話し合える仲になりました。

 開業前、ディモンズスキー倶楽部の仲間の結婚式に出席し、スピーチで私がこれからペンションを始めると話したら、新婦の大学時代の友人3人がペンションに泊まりに来てくれました。そのうちの1人が2年後輩で後に妻になるまゆみさんでした。横浜市に実家があり、父親は開業医で、まゆみさんはそこで事務などを手伝っていました。

(聞き書き・松井明子)


(2021年3月27日号掲載)

写真=ギター演奏で、久世ペンションのお客さまをもてなす私(右)