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100 糸の村・糸の町27 蚕都・上田 ~器械化の波には乗り遅れ

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 上田周遊唱歌

    宮川鶯渓作詞
    北村季晴作曲

(36番)
 折しも響く 笛の音に
 見れば南は 製糸場
 信陽館とて 製造の
 糸は皇国を エキストラ

    ◇

 上田町内の名所旧跡を織り込み、1908(明治41)年5月に発表された「上田周遊唱歌」第36番。全部で50番まである。汽笛一声 新橋を...。大ヒットした1900(明治33)年の「鉄道唱歌」に促され、各地に広まった地理歴史唱歌の一つだ。

 〈ちょうどその時、汽笛の音が響いてきた。見れば南に製糸場が建っている。「信陽館」と言って、そこで製造される生糸は、日本の国を誇らかにする一流品だ〉。そんな意味になるだろうか。

 上田市と小県郡、いわゆる上小地方は、信州を蚕糸王国に築き上げる原動力となった主な地域の一つだ。今もなお上田市は「蚕都」を誇っている。例えば、美術館と文化芸術センターの複合型施設は「サントミューゼ」の愛称で親しまれる。その「サント」の由来するところが「蚕都」にある。

 それは何より、江戸期から蚕の卵である蚕種の製造に傑出した地域であったからだ。そして幕末から明治初め、生糸の輸出が盛んになると、横浜へ出荷する生糸の集散地として重きをなし、「上田は信州の横浜」とされるほどだったからだ。

 ところが、どうしたことか日本の近代化へ中核を担った器械製糸の開発、普及に限っては、一歩出遅れた状態だった。そんな時にさっそうと登場したのが信陽館である。

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 だれが、どこで、どのようにして? 〈折しも響く笛の音〉と歌われた汽笛は、蒸気を大量に使う器械製糸場のシンボルだ。ぜひとも知りたい疑問に、上田小県近現代史研究会ブックレット「蚕都上田を築き支えた人びと」が、答えてくれた。

 それによると、生糸・蚕種の売買で大当たりした新興商人長岡万平が、生糸の品質向上を目指して立ち上げた。1889(明治22)年7月のこと。場所は商工業の活気づく市街地の北寄り、矢出沢川のほとり柳町だ。

 資本金1万円、規模150釜は、当時の製糸場としては大きい。動力を水車でなく、蒸気ボイラーにしたことも先進的である。これを弾みに器械製糸場が周辺に相次いだ流れも、信陽館の果たした貴重な役割だった。

 旧北国街道沿いの古い町並みが人気を呼び、柳町はこのごろ観光スポットの一つになっている。しなの鉄道上田駅から歩いて15分ほど。造り酒屋の軒先や格子戸の通りを抜け、矢出沢川に架かる橋から見回してみる。近所の人に尋ねても、信陽館にまつわる話題にはたどり着けなかった。

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(2021年4月24日号掲載)


写真上=矢出沢川の橋から見える柳町

写真下=明治22年ごろの信陽館製糸場図会
 
蚕糸王国うた紀行