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(C)2018 Twentieth Century Fox Film Corporation

 男女平等を求めて闘った伝説の女子テニスプレーヤーがいた。「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」は、1973年に起きた実話の映画化である。

 女子テニス世界チャンピオンのビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)は、女子の優勝賞金が男子の8分の1という現実に抗議して、仲間たちと「女子テニス協会」を立ち上げる。そんなキングたちに、男子元世界チャンピオンのボビー・リッグス(スティーブ・カレル)が、男性優位主義を掲げて挑戦状をたたき付けてきた。世界の注目が集まる中、男女の性差を超えた世紀の一戦が始まった。

 当時、自由の国アメリカで、白人至上主義だけでなく、男性至上主義が当然とされ、女性が自分名義のクレジットカードを持つことさえ難しかった。キング夫人ことビリー・ジーン・キングが闘ったのはそんな時代だった。

 盛りを過ぎた落ちぶれ感をにじませながら、コートの内外でビリーを小ばかにした言動で目立とうとするボビーを演じたカレルは、芸達者なコメディアンぶりを発揮している。

 「ラ・ラ・ランド」(2016年)のヒロイン役でミュージカルの才能を見せつけ、アカデミー賞主演女優賞に輝いたエマ・ストーンは、テニス未経験が信じられないほどアスリート体形に肉体を改造して、キング夫人になりきったという。

 4大大会で優勝を果たしただけでなく、女性解放運動の旗手として知られるキング夫人は、米雑誌「ライフ」が選んだ20世紀の偉大な100人の米国人に選ばれている。

 45年前の9月20日に行われた試合はテレビ中継され、コートには3万人を超す観衆が集まった。男女同権をかけて、激しいラリーを再現したテニスシーンは圧巻だ。

 監督は「リトル・ミス・サンシャイン」(2006年)でオスカーを受賞したバレリー・ファリスとジョナサン・デイトンの夫妻。女子テニスの歴史だけでなく、愛に苦悩するキング夫人の内面も丁寧に描ききった。当時のテニスファッションも見どころだ。
    =2時間2分
(2018年9月8日掲載)

(日本映画ペンクラブ会員、ライター)
長野ロキシー((電)232・3016)で公開中
 人が人を裁くことで生まれる葛藤や冤罪。「検察側の罪人」は、正義とは何かを鋭く問い掛ける雫井脩介の問題作を、原田真人監督が監督、脚本を手掛けた社会派ミステリーだ。

 エリート検察官の最上(木村拓哉)の下に、研修時代に指導をした若手検事の沖野(二宮和也)が配属されてきた。老夫婦殺人事件を担当した最上は、容疑者リストの中に、時効になっていた未解決事件の重要人物だった松倉の名前を見つけ、悲しい記憶をよみがえらせる。

 松倉は女子中学生殺人事件の第一容疑者でありながら、証拠不十分で法の手を逃れていた男だった。最上は闇社会のブローカー諏訪部(松重豊)を利用して、執拗に松倉を追い詰めていくが、捜査の流れに不自然さを感じた沖野は、次第に疑念を募らせる。

 犯人逮捕のために強引なストーリーを作る検察に対抗して、弁護側もアナザーストーリーで対抗する恐ろしさ。冤罪が生まれる過程を垣間見ることができる。

 司法が罰することができなかった犯人に自ら刑を下そうとする最上。趣味が、裁判官が判決を下す木づちの収集というのも、法の執行に誇りと執念をかける思いが伝わってくるようだ。

 有能な最上に心酔しながらも対立し、互いの信念を賭けて戦う2人の検事を演じた木村拓哉と二宮和也が静かに火花を散らす演技も見どころだ。脇役の顔ぶれも素晴らしいが、特に、不遜な態度で死者を冒涜する松倉役の酒向芳は、あまりの不快感で怒りがこみ上げ、演技ということを忘れてしまうほどの怪演である。

 都会の風景が合わせ鏡のように、境界線上で天地に映し出されるオープニング。真実とうそ、善と悪、被疑者はシロかクロか。作品のテーマを切り取ったかのような映像に被害者が愛したダイナ・ワシントンの曲が重なる。

 最上の祖父は、多くの兵が命を落とした旧日本軍のインパール作戦の生き残りだった。祖父の体験をつづった「白骨街道」というエピソードも、印象的に絡み合う。原作に人間ドラマとして深みを与える原田監督ならではの世界観に引き込まれる。心に突き刺さる重厚なサスペンスだ。
=2時間3分
(2018年8月18日掲載)

長野グランドシネマズ((電)233・3415)で8月24日(金)から公開
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(C)2017 CJ E&M CORPORATION,SIREN PICTURES ALL RIGHTS RESERVED

 1636年、清が朝鮮に侵攻し、朝鮮王朝で最も熾烈な戦いと言われる「丙子(へいし)の役」が勃発した。これを描いた「天命の城」は、韓国のベストセラー作家キム・フンの大作を映画化した本格時代劇である。

 清の大軍が攻撃してきたため、李氏朝鮮時代第16代国王の仁祖(パク・ヘイル)は、王の避難所である南漢山城へ逃げ延びた。敵軍に完全包囲され、冬の厳しい寒さと飢えに直面した朝廷は、降伏か抗戦か意見が紛糾する。

 大儀と名誉を重んじ徹底抗戦を唱えるキム・サンホン大臣(キム・ユンソク)に対し、清の軍事力を知るチェ・ミョンギル大臣(イ・ビョンホン)は国と民を守るためと和平交渉を進言。異なる意見に国王は苦悩するが、王子を人質に要求され、ついに決意するのだった。

 12万人の清軍に対し、朝鮮軍はわずか1万3千人。劣勢の中で、国の天命を賭けた戦いが始まった。

 自分たちは泥をかぶらず、口先だけで進言する大臣たちに振り回される王。韓国の歴史ドラマでよく見るシーンだが、いかに正しい決断を下すか、国のリーダーはどうあるべきか、王の力量が問われる瞬間だ。

 仁祖が失政を犯すほど、激論を交わした2人の大臣。対立しながらも共に忠誠心に厚い臣下を演じたキム・ユンソク、イ・ビョンホンの名優をはじめ、韓国映画界の演技派たちの熱い演技に圧倒される。

 朝鮮王朝時代の身分差別の厳しさと悲しみ。ファン・ドンヒョク監督は命をないがしろにされ、権力に抑圧された民衆の心理も丁寧に描きだす。怒濤(どとう)のごとく、清軍が城に攻め込むシーンでは、建物や衣装から小物まで忠実に再現。史実に合わせて極寒の中で5カ月かけて撮影したという臨場感あふれる映像も見どころだ。

 サウンドトラックを書き下ろしたのは日本の坂本龍一。監督の希望で韓国の伝統音楽に斬新さを加えることを心掛けたという。

 かつて中国や日本の軍門に下り、属国を余儀なくされた屈辱の歴史がある韓国。戦禍で荒廃した国土を復活させてきた今の韓国を知る上で、この戦いは興味深い。
=2時間19分

(2018年7月28日掲載)
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(C)Universal Pictures

 スティーブン・スピルバーグ監督がスクリーンによみがえらせた恐竜たちの堂々とした姿に、度肝を抜かれた「ジュラシック・パーク」(1993年)が公開されてから25年。シリーズ5作目となる「ジュラシック・ワールド 炎の王国」は、シリーズ最多の恐竜たちが登場し、暴れ回る。

 人気テーマパーク「ジュラシック・ワールド」が大惨事を起こして閉鎖されてから3年。島の火山が噴火を始めた。閉鎖後、取り残され、自力で生き延びてきた恐竜たちを、自然にまかせてこのまま絶滅させるか、それとも救出して保護するか―。

 議論が続く中、元パークの運営責任者だったクレア(ブライス・ダラス・ハワード)とトレーナーのオーウェン(クリス・プラット)は、恐竜を安全な保護区に移住させたいという財団の依頼を受けて、島に向かった。オーウェンはかつて調教していたヴェロキラプトルのブルーと再会するが、恐竜を軍事兵器に利用しようとビジネスをたくらむ武器商人に奪われてしまう。

 前作でオーウェンと共にT―レックスやハイブリッドのインドミナス・レックスと戦ったブルーとの絆がどう育まれたのか。語られなかったストーリーが映され、オーウェンと心を通わせるブルーの知力の高さが描かれる。

 クローン技術による生命の再生という遺伝子工学の進歩で、神の領域に立ち入った人間の過信に、1作目から警鐘を鳴らすのはマルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)だ。人間が作り出した脅威に、人類はどう立ち向かうのか。原作者のマイケル・クライトンが作品に込めた深淵なテーマは、時代とともにより現実的なものになった。

 とはいえ、恐竜たちが人間の傲慢さをあっさり打ち砕く迫力満点のモンスター・パニック映画の面白さは健在だ。

 スピルバーグが製作総指揮、新たに「インポッシブル」(2012年)でゴヤ賞を受賞したスペイン出身のJ・A・バヨナが監督を務めている。喜劇王チャップリンの娘ジェラルディン・チャップリンが乳母役で顔を見せているのもオールドファンには懐かしい。
=2時間8分

(2018年7月21日掲載)
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(C)Frenesy, La Cinefacture

 17歳と24歳の青年の恋の痛みと喜びを、北イタリアの美しい風景の中で描いた「君の名前で僕を呼んで」は、アンドレ・アシマン原作の小説を映画化した。

 1983年の夏、17歳のエリオ(ティモシー・シャラメ)は夏休みを両親と北イタリアの避暑地で過ごしている。アメリカの大学で美術史学を教えている父親の助手として、大学院生オリヴァー(アーミー・ハマー)がやって来た。自転車で街を散策し、川で泳ぎ音楽を楽しむ2人。エリオは端正で知的なオリヴァーに魅了されていくが、夏の終わりが別れの時を告げようとしていた。

 風に揺れるカーテン、ドア越しに交わす視線。欲望を挑発したかと思えば、突き放す。大人の自信と魅力にあふれているオリヴァーに反発しながらも、磁石のように引き寄せられていくエリオ。男同士の禁断の恋にとまどいながらも、激しい恋に落ちていく2人の肉体が、古代美術の彫像のように美しく絡み合う。「君の名前で僕を呼んで」のせりふに込められた官能的な感動が匂い立つようだ。

 物語のもうひとつの主軸となる親子の関係も、丁寧に描かれている。愛を知ったわが子の変化に気付いた父親が、人生を語る言葉は印象的だ。

 憂いのあるまなざしと音楽の才能にあふれているティモシー・シャラメが、多感な思春期の心の揺らぎを繊細に演じ、史上最年少でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたほか、作品賞、歌曲賞など4部門でノミネートされた。

 「日の名残り」(1993年)でオスカーを受賞した名匠ジェームズ・アイヴォリー監督が、自分の監督作品以外で初めて脚本を手掛け、89歳でアカデミー賞脚色賞を受賞したのも驚きだ。監督は「胸騒ぎのシチリア」(2015年)のイタリア人監督ルカ・グァダニーノだ。

 まぶしい太陽の下で息苦しいほどの恋のときめき。少年から大人へと成長していくひと夏の体験は、1970年代のイタリアの青春映画のような懐かしさと、みずみずしさに満ちている。
=2時間12分

(2018年7月14日掲載)

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(C)2017「モリのいる場所」製作委員会

 97歳でこの世を去った画家の熊谷守一(もりかず)(1880~1977年)は、その風貌から「画壇の仙人」と呼ばれ、30年間も家の外に出なかったというエピソードの持ち主である。愛称はモリ。「モリのいる場所」は晩年の日常を描いた物語だ。

 都会とは思えないほど、うっそうと草木が生い茂る熊谷家。モリ(山崎努)は結婚して52年になる妻の秀子(樹木希林)と2人暮らし。画商や取材者など、さまざまな人が出入りしてにぎやかだ。

 家の主は朝から庭に出て、何時間も飽きずに、昆虫や石の観察に余念がない。そんな浮世離れした夫を見守る秀子は、来客をうまくさばき、夫の囲碁相手を務める。夜には、教室と呼ぶアトリエに誘導してキャンバスに向かわせる。会話はなくとも、まさにあうんの呼吸で一日が過ぎる。

 長年連れ添った夫婦を演じた名優2人は、初共演というのが信じられないほど、息がぴったり。ユーモラスで互いを思いやる夫婦の姿を見ているだけで、温かく穏やかな心に満たされる。

 静かな画面に耳をすますと、生きるものの営みの音が聞こえてくるようだ。ハチ、チョウ、アジサイや何げない草花。地べたに寝転んで、アリや池の魚を無心に眺めるモリの目で一緒に眺めていると、小さな庭がまるで広大な小宇宙のような気がしてくるから不思議だ。

 面と線だけの独特な熊谷様式という画風のままのように、余分なものをそぎ落としたシンプルな暮らしぶり。文化勲章も辞退するほど無欲で、肩の力を抜いた自然体の生き方や、ふと漏らす言葉の奥深さにひかれる。

 山崎努が憧れていた熊谷守一を、「南極料理人」(2009年)で知られる沖田修一監督が、エピソードをもとにオリジナルの脚本を書き上げている。
    =1時間39分

(2018年6月30日掲載)

(日本映画ペンクラブ会員、ライター)
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(C)2018「焼肉ドラゴン」製作委員会

 関西の地方都市でたくましく暮らす在日コリアン一家の物語「焼肉ドラゴン」は、2008年に日本と韓国の芸術劇場のコラボレーションから生まれた名作舞台劇の映画化だ。

 小さな焼き肉店を営む龍吉(キム・サンホ)と妻の英順(イ・ジョンウン)は、長女の静花(真木よう子)、次女の梨花(井上真央)、三女の美花(桜庭ななみ)の3人姉妹と末っ子の時生の6人家族である。

 亭主の名前にちなんで呼ばれる「焼肉ドラゴン」には、常連客が集まって今日もにぎやかだ。梨花と哲男(大泉洋)の結婚パーティーのはずが、雲行きが怪しくなり、けんかが始まってしまう。娘たちの恋愛や有名中学に通う時生の不登校など、夫婦の心配事は絶えない。

 韓国語特有のけたたましさと関西弁が行きかう会話の応酬は、まるで舞台劇を見ているような面白さ。戦争で片腕を失った龍吉役のキム・サンホと、子どもたちを愛してやまない肝っ玉母さん役のイ・ジョンウンには、圧倒的な存在感がある。癖のある日本語やどこかユーモラスな人間くささが魅力的だ。長屋に咲いた花のような女優たちの体当たりの演技も新鮮で、目を奪われる。

 1970年の大阪万博に沸く時代が背景で、月の石の大行列などのせりふやチューリップ形の帽子やグッズも懐かしい。その一方で、開発に伴う強制撤去が行われ、押し寄せる高度経済成長の波が、必死に生きる一家をほんろうする。

 南北に分断された祖国と日本。彼らにとって三つの国は近くて遠い。北朝鮮への帰国事業による移住は、今の私たちは結末を知っているだけに切ない。

 戯曲を執筆した鄭義信(チョンウィシン)監督が、映画版でも脚本と監督を手掛けている。鄭監督自身も在日3世で、リアルな体験から生まれたエピソードと人情味あふれるストーリーは、紀伊国屋演劇賞、朝日舞台芸術賞、読売演劇賞・大賞など数々の賞を獲得した。上演された韓国でも韓国演劇評論家協会が選ぶベスト3にランクインしている。

 日本で生きるために耐える在日の痛みと悲しみ。泣いて笑って立ち上がる強さがまぶしい。
=2時間
(2018年6月23日掲載)
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(C)「終わった人」製作委員会

 「定年って生前葬だな」。部下たちから贈られた花束を抱え、勤務先を後にするサラリーマン。人生の転機を迎えたシニア世代の悲喜こもごもを描いた「終わった人」。内館牧子さん原作のベストセラー小説の映画化だ。

 東大法学部から大手銀行に就職。超エリートなはずが出世コースから外れ、出向先の子会社で定年を迎えた田代壮介(舘ひろし)は、仕事一筋で趣味もなく、ゆっくり過ぎる時間に何をしたらよいのか分からない。老人的なことから距離を置こうするが、公園も図書館もスポーツジムも高齢者であふれている。新たな生きがいを求める壮介に、ある出会いが待っていた。

 もう一人の主人公は、夫とともに生きてきた妻の千草(黒木瞳)。家庭を支えながら先を見据えて、美容師としても着実にキャリアを築いているしっかり者だ。定年をきっかけに、夫婦の間に微妙な変化が起き始める。

 昼間いなかった夫が毎日朝から一緒にいる妻のストレスが、男性諸氏に分かってもらえるだろうか。気ままだった外出も気兼ねしつつ、1日3食の食事作りは結構負担だ。満開の桜を見ても、「残る桜も散る桜」などと言う悲壮感あふれる愚痴を聞かされるはめになり、妻は次第に夫の存在が重くなる。そんな夫婦の身につまされる日常とエピソードがリアルに描かれる。

 誰にも訪れる老後をいかに充実させ、自分を切り替えていくか。自分の居場所探しにジタバタする男と、一歩先を行く女の違いが巧みにちりばめられて、うなずきながら思わず苦笑いしてしまう。

 68歳ながらダンディーな舘ひろしが、これまでにない役柄に挑戦。「リング」(1998年)や「仄暗い水の底から」(2002年)の中田秀夫監督が、原作にほれこみ手掛けた。ジャパニーズホラーの名手として知られる中田監督の初めての人間喜劇という意外性にも注目だ。
(2018年6月9日掲載)

 いつかは向き合わなければならない終わりの時。仕事はリタイアしても、人生をリタイアしないためのヒントが満載のちょっぴり辛口なコメディーだ。
=2時間5分
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(C)2017 ALL THE MONEY US, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
 世界一の大富豪とも称されたアメリカの石油王ジャン・ポール・ゲティ。「ゲティ家の身代金」は、世界中から注目された誘拐事件の顛末をスリリングに描いた実話の映画化である。

 1973年、ローマで17歳の孫ジョン・ポール・ゲティ3世が誘拐された。犯人は母親のアビゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)に1700万ドル、当時の換算でおよそ50億円もの身代金を要求してきた。

 子どもの親権だけを望み、既に離婚していたアビゲイルは、疎遠になっていたポールの祖父ジャン(クリストファー・プラマー)を頼るが、支払いを拒否されてしまう。ジャンは部下で元CIA(米中央情報局)のフレッチャー(マーク・ウォールバーグ)を交渉役として、アビゲイルの下に向かわせる。

 資産が数えられるうちは、本当の金持ちではないとうそぶくジャン。「孫が14人もいるから1人に払うと、ほかの孫も誘拐される」。正論のように聞こえる言い訳も、その本心は醜い守銭奴の姿だ。美術品のコレクターとしても知られるジャンは、美術品には大金を払っても、人間の命には払わない。

 家族を犠牲に富を築いてきた男のエゴに立ち向かうのは、「なんとしても息子を救い出す」という母親の強い愛だ。残忍な誘拐犯だけでなく、冷徹な義父との駆け引きに挑むアビゲイルの闘いが緊迫感を盛り上げる。

 公開直前にジャン役だったケビン・スペイシーがセクハラ問題で降板。リドリー・スコット監督が代役にクリストファー・プラマーを起用し、わずか9日間で撮り直したといういわくつきの作品だが、鬼気迫るプラマーの怪演でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされるなど、賞レースで評価された。

 監督が大好きだという「甘い生活」(1960年)に使われた噴水広場で撮影したオープニングシーンから、一気に物語の世界観へと引き込まれていく。モノクロからカラーへ、さらに色彩心理にこだわった衣装や映像が印象的だ。

 大富豪と誘拐犯。対極に見えながら、金にとらわれた浅ましさとむなしさ。息つく暇もない二転三転の極上サスペンスだ。
=2時間13分
(2018年5月26日掲載)
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(C)2017 Stronger Film Holdings,LLC. All Rights Reserved. Motion Picture Artwork
(C)2017 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.

 4月第3月曜の米国「愛国者の日」に行われるボストン・マラソンは、1897年に始まった世界最古のマラソン大会。122回目の今年は、川内優輝選手が日本勢としては31年ぶりの優勝を果たし、話題になった。

 「ボストン・ストロング ダメな僕だから英雄になれた」は、3人の命が奪われ、282人の負傷者が出た2013年大会の爆弾テロで両足を失った青年の回顧録の映画化だ。

 ジェフ・ボーマン(ジェイク・ギレンホール)は、元恋人のエリン(タチアナ・マスラニー)が大会に出場すると知り、応援に駆け付けた。ゴール地点でエリンを待つジェフの真横で突然、爆発が起こり、会場は大混乱に陥った。

 ジェフが意識を取り戻した時、待ち受けていたのは両足切断という現実。絶望する彼を片時も離れずに支えたのは、ジェフのいい加減さが原因で別れたはずのエリンだった。

 アメリカ社会の強さを感じるのは、テロリストに屈しないという団結力だ。市民を勇気づけた「ボストン・ストロング」というスローガンの象徴となったのが、爆破直後に車椅子で運ばれる姿と、傷つきながらもテロリストの姿を証言し、逮捕に協力したジェフだった。

 だが、世間からヒーローと持ち上げられることで、逆に自分の無力さとトラウマにいら立つジェフ。そんな一人の男の心の葛藤を繊細に演じたのが、物語にほれ込んで製作にも関わったジェイク・ギレンホールだ。ジェフ本人と時間をかけて交流し、演技を超えた存在感で見る人を圧倒する。

 足が吹き飛ばされた(凄)(せい)(惨)(さん)なテロ現場のシーンや、義足を装着した姿はリアルでつらくなる。己に起きた現実と向き合った原作「ストロンガー」の段階から注目を集め、映画化が待たれていたという。

 舞台となったボストンも、市を挙げて撮影に協力し、事件を再現しただけでなく、ジェフの実際の担当医や看護師、義足技師も出演したという。普通の男がいかにして悲劇を乗り越え、本物の強さと勇気を勝ち取ったのか、喪失と再生の実話に胸が熱くなる。
=2時間