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(C) Paul Morigi / gettyimages

 2016年11月9日、ドナルド・トランプ氏が米大統領選挙で勝利宣言をした日がタイトルになった。「華氏119」は、アポなし突撃取材で知られるマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画だ。

 女性初の大統領誕生を確信していたクリントン陣営の女性たちの笑顔が、困惑から悲鳴と涙に変わる。鉄鋼や自動車産業に従事する労働者の心をつかんだトランプ氏の選挙戦のうまさが大きな要因だった。ミシガン州フリントで、自動車組み立て労働者の息子として生まれたムーア監督は、故郷で起きた水道事業の民営化に伴う鉛混入事件も追及する。

 日本でも、自治体の水道事業で民営化を促進する改正水道法が成立。ひとごとではないエピソードだ。

 ブッシュ政権の実態に迫った「華氏911」(2004年)は、米中枢同時テロが起きた2001年9月11日をタイトルにした。同じように日付をタイトルにしたところに、何とも言えない不気味さを感じる。ムーア監督は16年7月に書いたエッセーで、トランプ氏の勝利を予見していたという。

 地球温暖化はないとうそぶき、都合の悪いニュースはフェイクニュースと非難してマスコミを排除する。自分に逆らう官僚やスタッフは解雇するというトランプ大統領の強引な手法を何度も見せつけられてきた。「自国第一」を掲げるトランプ大統領を熱狂的に支持する国民の姿に、まるでナチスドイツのファシズムと重なるような恐怖さえ浮かぶ。

 だが、ムーア監督は一方的に非難するのではなく、前オバマ政権が国民を裏切る瞬間をもとらえ、冷静に真実を見極めることの必要を促す。政治をビジネスととらえる人物の手に権力が渡ったアメリカで、民主主義はどこへ向かうのか。

 混沌(こんとん)とした時代の希望は、声を上げ始めた若者たちの存在だ。バークランドで起きた銃乱射事件で多くの友人を失った女子高生は、涙と共に、銃撃で命を奪われた怒りを沈黙の時間で抗議した。私たちもその痛みを体感できるのがこの映像のすごさだ。
=2時間8分
(日本映画ペンクラブ会員、ライター)
長野千石劇場((電)226・7665)で1月18日(金)から公開
(2019年1月12日掲載)
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(C)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会

 全身の筋肉が徐々に衰えていく難病の進行性筋ジストロフィーのため車いすで生活しながら、「地域で普通に暮らしたい」という意思を、生涯貫いた人がいた。「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」は、2003年の刊行後、大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞を受賞した渡辺一史さんのノンフィクションの映画化だ。

 幼少のころから難病を患い、今は首と手しか動かせない鹿野靖明(大泉洋)は、24時間介助を受けながら生活している。

 ボランティアとして介助に加わっている医大生の久(三浦春馬)の恋人、美咲(高畑充希)は、デートよりボランティアを優先する久を疑い、鹿野を訪ねたところ、新人スタッフと勘違いされて手伝うはめに。初めは反発していた美咲だが、次第に鹿野の人柄に心を開いていく。

 医師から20歳までの命と宣告を受けながら、43歳まで人生を戦い抜いた鹿野。自立した生活を求めて障害者施設を飛び出した鹿野のモットーは「生きるとは迷惑をかけ合うこと」。思い切って人の助けを借りることも大切だ―という彼の人生哲学に、500人以上に及ぶ若者たちが、葛藤し、ぶつかり合いながら、大きな影響を受けたという。

 前田哲監督は「社会に一石を投じる覚悟でつくり上げた」と語る。同監督は「ブタがいた教室」(2008年)で、小学校の教室で自分たちが育てたブタを食べるという「食育」を題材に、「命」の重みと人間の不条理を問い掛けた。

 障害者への社会の仕組みが不十分な時代に、卑屈になることなく、堂々と声を上げる鹿野の姿は、一見腹立たしいほど、ずうずうしく見えてしまう。だが、人間誰しも年を重ねて衰えていくのが現実。その覚悟を突きつけられているようだ。

 わがままで自由で前向きでおしゃべりで、本音で生きた主人公を、同じ北海道出身の大泉洋がユーモアたっぷりに演じている。実際に鹿野さんが暮らしていた部屋で撮影され、北海道でオールロケが行われた。
=2時間
(日本映画ペンクラブ会員、ライター)
長野グランドシネマズ((電)233・3415)で12月28日(金)から公開
(2018年12月22日掲載)
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(C)Earth Films Productions Limited 2017

 「アース アメイジング・デイ」は、2007年公開の英BBC製作「アース」の10年ぶりとなる続編のネイチャー・ドキュメンタリーである。日の出から日没までの一日の中で、動物たちの姿を追った。

 高画質の4Kカメラ、大型ドローンなど、最新のハイテク機材による映像の進化の素晴らしさに息をのむ。制作スタッフには、動物学や生態学、行動学のエキスパートが集結。偶然ではなく、動物を知り尽くした彼らだからこそ捉えることができた動物たちの表情は、これまでに見たことがないほど、ユニークなものばかりだ。

 太陽の動きに合わせて、動物たちが次々と登場する。早朝にはらはらさせるのは、ガラパゴス諸島に生息するウミイグアナの赤ちゃん。ふ化したばかりの命を狙う蛇たちとの攻防が最初に待ち構える試練だ。サバンナシマウマの子どもにも、自力で激流を渡る命懸けの試練が訪れる。

 厳しさだけでなく、ほほ笑ましい親子の愛情あふれるシーンを見せてくれるのはパンダの母子や、子どもを連れたマッコウクジラの家族。ヒゲペンギンの両親は、おなかをすかせた子どものために、果敢に荒波に飛び込む。最上級の絶滅危惧種に位置付けられているサルのハクトウラングールが、赤ちゃんを抱えて岸壁をジャンプする貴重な瞬間も、カメラは映し出す。

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 「終戦のエンペラー」(2012年)のピーター・ウェーバー監督や英国アカデミー賞監督のリチャード・デール監督らが参加することで、動物たちの物語がドラマチックになった。長い首を振り回すキリンの決闘は、ウエスタン仕立てで迫力満点。どんなに急いでもスローモーにしか見えないナマケモノの恋は、ロマンチックコメディーのようだ。

 ナレーターを務めた佐々木蔵之介さんは「動物も人間も平等に24時間あり、僕らは自然と一体で、仲間なのだと感じた」と語る。地球に生きる動物たちの命の賛歌は、まさに地球遺産ともいうべきアメイジングな作品となった。
    =1時間34分
(日本映画ペンクラブ会員、ライター)
長野グランドシネマズ((電)233・3415)で公開中
(2018年12月8日掲載)


写真=佐々木蔵之介さん
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 (C)2018「人魚の眠る家」製作委員会


 東野圭吾さんが作家デビュー30周年を記念して著した「人魚の眠る家」。愛する娘の生死に苦悩する夫婦を描いたヒューマンミステリーの映画化だ。

 離婚寸前の播磨薫子(篠原涼子)と和昌(西島秀俊)夫妻に残酷な悲劇がもたらされる。娘の瑞穂がプールで溺れ、意識不明の重体に。しかも、脳死の可能性が高く回復の見込みがないという。担当の医師から、脳死を受け入れ「臓器移植提供」を希望するか、それとも生かし続けて心臓死を待つかという選択を問われ、夫婦は言葉を失う。

 2人が選んだのは奇跡を信じること。娘の介護に没頭する薫子。そして、IT機器メーカー社長の和昌は、研究員の星野(坂口健太郎)が開発中の最先端技術を応用することを思い付く。前例のない延命治療の先に、新たな問題が待ち受けていた。

 「臓器移植」という医療の進歩が、人間の生と死の境界線に混乱をもたらす。生きている証しとは脳波か心臓の鼓動か、答えを出すのは難しい。

 もし、愛する家族が魂の抜けた「生きている死体」になってしまったら。つらい現実がわが身に起きたとしたら、どう向き合えばよいのだろう。周囲の人間に生死を決める権利があるのか。そんな社会が現実になりつつある。葛藤する薫子と和昌に感情を重ねながら、思いもよらない展開に引き込まれる。

 この物語に託されたミステリーは、謎解きでもサスペンスでもない。人間の奥深く心のひだに隠された真実だ。わが子を守るために、はたから見れば、常軌を逸したように見える薫子の行動。狂気の裏に秘められた真実が明かされたとき、あまりにも深い母の愛に涙してしまった。眠り続ける娘をひたすら愛する強い母親を演じた篠原涼子の鬼気迫る演技に圧倒される。

 監督は、「天空の蜂」(2015年)に続き東野圭吾作品は2作目の堤幸彦監督が手掛けている。延命、臓器移植という重いテーマの中に、あふれるほどの人間の細やかな感情を丁寧にすくい取った見応え十分の人間ドラマだ。
=2時間
(2018年11月17日掲載)


(日本映画ペンクラブ会員、ライター)
長野グランドシネマズ((電)233・3415)で公開中
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(C)2018 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.

 女王陛下の国で生まれた伝説のロックバンド「クイーン」。「ボヘミアン・ラプソディ」は、バンドの誕生からスターダムに駆け上る姿を、不滅の名曲とともに描いた音楽エンターテインメントだ。

 1970年のロンドン。フレディ・マーキュリー(ラミ・マレック)は、ボーカルが抜けたばかりのバンドに自分を売り込む。最初は相手にしなかったギタリストのブライアンとドラマーのロジャーだったが、フレディの歌声に一瞬で心を奪われる。クイーンが生まれた瞬間だった。

 フレディの豊かな才能と、個性的なメンバーが生み出す楽曲は独創的で、次々とヒットを記録するが、メンバーとの対立からソロ活動を始めたフレディは、次第に孤独を深めていく。

 ライブ会場が足踏みと手拍子の一体感で高揚する「ウィ・ウィル・ロック・ユー」をはじめ、「伝説のチャンピオン」など名曲が流れる。栄光の光と影、かなわぬ愛と裏切り。伝記映画だけではない人間ドラマが胸を熱くする。容姿コンプレックスやセクシャルマイノリティーだったフレディに対する容赦のない記者会見シーンは残酷で心が痛くなる。

 崩壊寸前だったメンバーが、再び心を通わせたのは、20世紀最大のチャリティー音楽イベント「ライブエイド」だった。巨大なステージから舞台裏、小道具にいたるまで完璧に再現されたステージパフォーマンスは圧巻だ。

 音楽プロデューサーとして参加しているブライアンとロジャーから提供された衣装や楽器だけでなく、オリジナルの音源が使われた音楽シーンの臨場感は半端でない。

 彼らのステージの感動を、どんな言葉で伝えたらよいのだろう。熱狂するファンが会場を埋め尽くす。天を目指すように響き渡るフレディの歌声に、心が揺さぶられ、涙がこぼれる。史上最高のエンターテイナーと称された今は亡きフレディ・マーキュリーのパフォーマンスに酔いしれる。エンドロールが終わり、試写会場に拍手が鳴り響いた。なぜ彼らの音楽が、今なお人々の心をとらえて離さないのか、胸に落ちた瞬間だった。
=2時間15分
(2018年11月10日掲載)


(日本映画ペンクラブ会員、ライター)
長野グランドシネマズ((電)233・3415)で公開中

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(C)2017 Broad Green Pictures LLC

 1997年、キューバの老ミュージシャンたちの音楽シーンに世界が熱狂した。アメリカのギタリスト、ライ・クーダーがプロデュースしたアルバムはグラミー賞を受賞し、ドキュメンタリー映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(日本公開2000年)は、アカデミー賞にもノミネートされた。

 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス」は、彼らのその後の物語だ。

 あれから18年、グループのステージ活動に終止符を打つと決めたメンバーが「アディオス・さようなら」世界ツアーを行った。白人の母と黒人の父を持つ伝説の歌姫オマーラ、たばこ工場で働いていたコンバイ、遊郭のギタリスト・エリアデス、靴磨きをしていたイブライムら、カメラは苦労を重ねながら音楽を求め続けたメンバーたちの生い立ちや、音楽のルーツを捉える。

 白人と黒人の分離政策差別があり、黒人限定の社交場だった「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」が、そのままバンド名になった。

 キューバ人にとって音楽は食べ物と同じ、なくてはならないものだ。アフリカからの奴隷時代に始まり、スペインによる支配などの影響を受けて生まれた「ソン」には、ラテン音楽の魂が詰まっている。

 つえがないと歩けない年齢となって有名になった彼らだが、演奏が始まると、たちまちかっこいいミュージシャンに変身する。円熟味のある歌声と演奏。「キューバ音楽のレジェンド」である彼らの存在は、キューバの歴史そのものだ。

 大ヒットした「チャン・チャン」は何度聞いても素晴らしい。字幕でしか分からないのが残念だが、歌詞に込められた意味の重さが深い感動を呼び覚ます。

 前作でメガホンをとった名匠ビム・ベンダースが製作総指揮に回り、新たにドキュメンタリー映画に手腕を発揮するルーシー・ウォーカー監督が彼らと旅をし、最後の雄姿をカメラに収めた。

 誰もが人生でいつか輝くときがある。そして誰にでも必ず訪れる死。最後の瞬間まで音楽の女神に愛された彼らの姿を見ることは、なんと至福の時なのだろう。
=1時間50分
(2018年10月27日掲載)

(日本映画ペンクラブ会員、ライター)
長野千石劇場((電)226・7665)で公開中
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(C)2018 若松プロダクション

 時にはピンク映画の旗手として、時には「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」(2008年)などで社会に鋭い視線を投げ掛けた若松孝二監督。常に何ものかと闘った若松監督が、2012年10月17日に交通事故で死去してから6年がたった。

 監督が守ってきた若松プロダクション再始動の第1作が「止められるか、俺たちを」である。若松監督の下でたたき上げてきた白石和彌監督が、メガホンをとった青春群像劇だ。

 1969年、助監督志望の吉積めぐみ(門脇麦)は、新宿にある若松監督(井浦新)の独立プロダクションに弟子入りした。撮影現場で監督の容赦ない罵声を浴びながら、女優としてカメラに納まり、雑用をこなす。監督の下に、才気に満ちた男たちが集まり、熱論を交わす日々。次第にめぐみの中で焦りと不安が芽生え始める。

 76歳で生涯を閉じた若松監督の人生の何とドラマチックなことか。「どこかでもう一度、若松監督の声が聴きたい」と、白石監督は生誕80周年を機に企画をスタートさせた。

 男社会の当時、珍しかった女性監督の吉積さんの視点を通すことで、若松監督の意外な素顔が見えてくる。映画に対する真っすぐな姿勢。ピンク映画を撮りながら、女性の裸も血も嫌いだったという若松監督。白石監督はこの映画で、好きなことをぶれずにやり続けた若松監督はエネルギーの塊のようだったと、すごさを実感したという。

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 「憧れの存在だった恩師を演じることは想像していなかったが、演じられるのは自分しかいないだろうと思った」と、井浦は語る。頭で考えた小手先の芝居を嫌い、役者を緊張させることで一瞬の芝居を導き出す。撮影現場で自身が経験したことが、そのまま若松監督の役作りとなった。

 「文句を付けようがないほど素晴らしく、面影を見た」と白石監督。若松作品に出演した奥田瑛二や高良健吾、「キャタピラー」(2010年)でベルリン国際映画祭の主演女優賞を受賞した寺島しのぶらが顔を見せている。
=1時間59分

長野ロキシー((電)232・3016)で10月27日(土)から公開。
 初日と28日(日)に、脚本の井上淳一さんが舞台あいさつ。

(2018年10月20日掲載)

写真=白石監督(左)と井浦新
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(C)2018『ハナレイ・ベイ』製作委員会

 村上春樹原作の「ハナレイ・ベイ」は2005年に発表された「東京奇譚集」の連作短編小説の一つ。「ノルウェイの森」以来、村上作品の映画化2作目だ。

 ピアノバーを経営しながら一人息子のタカシ(佐野玲於)を育ててきたシングルマザーのサチ(吉田羊)に突然、息子の訃報が届く。ハワイのカウアイ島でサーフィン中にサメに襲われ、右脚を食いちぎられて亡くなったという。

 遺骨を胸に日本に帰る途中、ハナレイ・ベイに立ち寄ったサチは、海辺の大きな木の下で読書をして過ごす。以来、命日の時期になると、同じ場所を訪れ読書をしていた。10年目のある日、偶然知り合った若い2人の日本人サーファーから、片脚の日本人サーファーの存在を聞かされ、激しく動揺する。

 文学を映像で味わう楽しみ。この作品にはそんな出合いがあるが、そこには確かな力量が試される。文庫本のわずか42ページの短編に凝縮された濃密な時間。脚本も手掛けた松永太司監督は、予算の都合でオアフ島での撮影を提案されていたが、作者が大切にしているハナレイ・ベイで撮影する意思を貫いたという。

 変わらない日常を、突然奪われたサチを演じた吉田羊も、母親としての複雑な感情を、せりふを超えたこれまでにない表情で見せつける。息子の死に直面しても冷静さを装い、淡々と乗り越えたかのように見えるサチの内面と苦悩が吐露される。

 およそ500万年前、ハワイ諸島で最初にできた最北端のカウアイ島は、魂が目覚めるスピリチュアルな癒やしの島として知られ,神聖な伝説も多いという。ハワイ語で三日月を意味するハナレイ・ベイは、世界有数のサーフスポットで、多くのサーファーが訪れる。日本人青年の三宅をプロサーファーの佐藤魁が演じて、華麗な技を披露している。

 「ジャップ」と蔑称を口にし、「パールハーバーを忘れるな」と怒りをあらわにするアメリカ人が登場する。命を奪い合う戦争の記憶、人間を不幸にする現実が突きつけられる一瞬だ。

 余談だが、ミュージカル映画「南太平洋」のロケ地としても有名な島である。
=1時間46分
(2018年10月13日掲載)

(日本映画ペンクラブ会員、ライター)
長野ロキシー((電)232・3016)で10月19日(金)から公開

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(C)PATHE PRODUCTIONS LIMITED, RELIANCE BIG ENTERTAINMENT(US) INC., BRITISH BROADCASTING CORPORATION, THE BRITISH FILM INSTITUTE AND BEND IT FILMS LIMITED, 2016

 第2次大戦で国力が疲弊したイギリスは1947年、植民地だったインドの独立を認めた。「英国総督 最後の家」は、独立前後の激動のインドを舞台に、人々の思いを描いた人間ドラマだ。

 主権譲渡の任務を託され、最後のイギリス総督に就いたマウントバッテン卿(ヒュー・ボネビル)は、妻エドウィナ(ジリアン・アンダーソン)と共に、首都デリーにやってきた。

 インド人指導者たちとインドの未来にとって最善の道を模索しようとするが、それぞれの主張は対立を深め、交渉は困難を極めていた。統一か分離か、ヒンズー教徒とシク教徒が統一インドを、ムスリム連盟はパキスタン建国を願い、人々の対立は内乱を巻き起こす。

 歴史的な決断はいかになされたのか。人道的なガンジー、インドの初代首相となったネール、パキスタンの建国者ジンナーという3人の重要人物がまるでよみがえったかのように、時代を再現する。

 しかし、国を選ぶことで移動する住民への略奪や暴行が頻発した。百万人ともされる犠牲者が出た無差別大虐殺のニュース映像は、あまりにも悲惨だ。

 政治ドラマとともに描かれる総督秘書のインド人青年ジートと邸宅で働く美しい娘アーリアとの恋も、歴史の波にのみ込まれていく。植民地という呪縛から逃れても、信仰や身分制度が若者たちの恋の行く手を阻む悲しさがインドの現実だ。

 総督官邸では、白いユニホームを着た500人もの使用人が出迎える。200年も支配した総督たちの写真が壁に並び、インド女帝となったビクトリア女王の胸像がいかめしい。壮麗な邸宅で、イギリスが栄華を享受していたことが分かるシーンだ。現在、インド大統領官邸となっている本物の総督の家で特別に撮影が許可され、マウントバッテン家とスタッフが一同に並んだ映像は壮観だ。

 脚本も手掛けたグリンダ・チャーダ監督は、難民キャンプを体験した祖父母たちのファミリーヒストリーとしても、インド人の苦しみや悲しみ、喜びの歴史と向き合った。混迷の歴史の裏側を知る貴重な作品だ。
=1時間46分
(2018年9月29日掲載)


(日本映画ペンクラブ会員、ライター)
長野ロキシー((電)232・3016)で10月6日(土)から公開
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 黒沢明監督の下で数々の作品を手掛けたカメラマン木村大作が、初めての本格時代劇に挑戦した。日本アカデミー賞受賞の「剣岳 点の記」(2009年)、「春を背負って」(14年)に続く監督3作目。直木賞作家、葉室麟の「散り椿」を、愛の物語として映画化した。

 上役の不正を訴えたことが原因で扇野藩を追われた瓜生新兵衛(岡田准一)が8年ぶりに戻ってきた。共に故郷を離れて病に倒れた妻、篠(麻生久美子)の最後の願いをかなえるためだった。

 かつて平山道場の四天王と呼ばれた親友であり、恋敵でもあった榊原采女(西島秀俊)とは、不正事件によって袂を分かっていた。篠の妹・里美(黒木華)と藤吾(池松壮亮)姉弟の下に身を寄せて真相を探る新兵衛を、城代家老の石田玄蕃一味が付け狙う。

 「黒沢監督の伝統を汚さないように、一歩でも近づきたい。いまだに何か迷うと、黒沢さんならどうするかと考える」。キャンペーンで長野を訪れた木村監督は、時代劇への熱い思いをこう語る。木村監督のために、同じ黒沢組出身の小泉堯史監督が、脚本を手掛けている。

 「鬼の新兵衛」と恐れられた男はどんな剣の使い手なのか。「今まで見たことがない殺陣でやりたい」という監督の注文に、岡田准一が見事に応え、スピード感あふれる鮮やかな剣さばきを見せる。初めはかたくなだった藤吾が、次第に新兵衛に心酔し、雪の中で一緒に稽古をするシーンは、まるで舞を見るかのように、静かで美しく印象的だ。

 愛する女性のために命をかけて戦うラブロマンスに、時代劇ならではのチャンバラの面白さを加えて、物語は壮絶な終末へと向かう。

 富山をメインに、長野の松代など全編オールロケを敢行。1年かけてやっとカメラに収めたシーンもあるという四季の映像美は高く評価され、モントリオール世界映画祭で最高賞に次ぐ審査員特別グランプリを受賞した。
=1時間52分
(2018年9月22日掲載)

(日本映画ペンクラブ会員、ライター)
長野グランドシネマズ((電)233・3415)で9月28日(金)から公開

写真=木村大作監督